「私、何もできなかった」。母が過労で倒れて救急車で運ばれたのは中学生の頃。そばにいるだけの自分がもどかしく、「大切な人に何かあった時に対処できるようになりたい」と思ったのが看護師への道の始まりです。しかし、就活の時期はコロナ禍の真只中。説明会の中止も囁かれ始める中、運よく巡り会えたのが、徹底した感染対策のもと見学会を実施していたここ市民病院でした。
その見学会で、看護師が2人1組となり、年の近い先輩が新人に寄り添いながら教えるPNS制度(Partnership Nursing System)を目にしたのです。「次、どうする?」「何が最適?」と対話しつつ、互いに補い合いながら看護する姿を見て、「私もここなら成長できるかも」と。長く続けている先輩が多いことも後押しになりましたね。
入職1年目の年は、必須研修や勉強会などスキル習得の機会が毎週のようにあり、どれに参加したのか覚えていないほど。採血も模型での練習に始まり、同期や先輩の腕を借りての実践まで、体当たりで学ぶ毎日でした。
そんな中で軸になっているのは、パートナーの先輩の「病院は、入院患者さんの“生活の場”でもある」という言葉。だからこそ「点滴の針は、ご飯が食べやすいよう利き手とは逆に」「ベッドの柵はトイレに行きやすいように付ける」など、“考える看護”を実践しています。先輩は、私が不安に思っている事などは既に“経験済み”で、心の面でも相談できる。「今ここ悩んでいるでしょ?」なんて、すぐにわかってしまうんですよ。
急患で運ばれてくる患者さんを見る度に、重なるのはかつての母の姿。そうした方々のケアに、あの日見ていただけの私が、看護師として関われるようになったのが前進かなと。今後はもっと多くの方の支えになれるよう、新人のうちから様々な疾患の患者さんと向き合えるこの病院で経験を積んでいくつもりです。そしていつか母に、成長した自分を見せたいですね。
フレッシュパートナーのS. K.さん達は、「私、成長できてない」と不安になった時、「自分もそうだった」と親身になって相談に乗ってくれました。同期の研修会でも「皆、同じことで悩んでいるんだ」と気づくことがあり、悩みや課題を共有しながら前に進めるのっていいですよ。
1年前、廊下で首をかしげていた私に、先輩達は何度「大丈夫?」と声をかけてくれただろう。人に助けを求めることが苦手で、「一人で何とかしないと」と思っていたのが入職半年目までの私でした。そんな時、先輩が「報連相は大事だよ。あなたもチームの一員なんだから」と言ってくれたおかげで、「ああ、声を出していいんだ」と。だからこそフレッシュパートナーとしてペアの後輩を受け持つようになった今は、私が支える番だと思っています。
「大丈夫?」。そう聞くと、「大丈夫です」と答えるのですが、まるで去年の私を見ているように、一杯一杯なのが分かる。そこで患者さんの元へ一緒に行ったり、作業の手順を共におさらいしたり。その先に、新人パートナーの笑顔が見られた時はホッとしますね。
患者さんと接する中で気をつけているのは。5分でも10分でも会話し、その方を知ること。例えば耳の不自由な患者さんに手話で話しかけた時、「手話、できるの?」と、それまでの表情が一変する位、微笑んでくださったんです。以来、会話を重ねるうちに「あなただから話そうと思った」と心を開いてもらえたことは財産ですね。
こうした経験から、受け持ち以外の患者さんでも「カルテ、見てみようかな」と目を配るようになり、チーム医療の自覚も芽生えてきたかなと。また退院後、施設に入所する方も多い中、どの転院先なら幸せか、在宅医療は可能かとサポートセンターと連携して準備するなど、退院後を見据えたケアができるようになったのも成長かもしれません。
実は、父が化学療法を受けた経験があり、将来は化学療法の認定看護師になることも視野に入れています。さらに私も子どもの頃、小児科にかかっていたことから子ども達のケアにも携わってみたい。そこで院内研修のポスターを見ては参加し、業務中に新たな疾患に触れては、ノートに書き足し勉強する日々です。“看護とは、患者さんを安心させ、笑顔にすること”。その思いを胸に、私自身も笑顔で頑張らなくては。
新人のA. I.さんとは一緒に仕事をするほどに打ち解けて、休憩時間に「この前の休み、あのカフェに行ったんです」とプライベートの話もしてくれるようになったのは嬉しかったな。急性期医療ではどこに配属されても忙しいですが、その分、学べることは多いと思います。
「勉強会に行きたいので、定時で上がらせてください」。新人看護師のそんな言葉を聞く時が、看護師長としては嬉しい瞬間ですね。正直、日々の業務は楽ではない。それでも仕事の合間を縫って未知のスキルを我が物にしようと出かけていく。そして学んだ知識を仲間に教える姿を見ると「成長したな」と感じます。手から手へと伝えるこの技術が、結局は患者さんのケアの質を高めることに繋がるからです。
私が看護師を志したきっかけは、中学2年生の時の挫折。ハンドボール部の試合当日、骨折して長期入院となり、当たり散らす私に寄り添ってくれた看護師さんに魅かれたのが原点でした。今思えば、絶望の淵で将来の道を見つけたのです。
横浜市立市民病院に入職して配属された手術室は、厳しかった。しかし同期と「逃げたら負けだよね」と。そんな中で出会ったのが、“患者さん中心”というブレない軸を持った師長でした。師長の仕事の一つは業務の改善ですが、ついスタッフ目線で効率化を考えてしまうもの。しかしその師長は「それは患者さんにとっていいこと?」と常に問い、ハッとさせられた。そこから同じ道を志しました。
師長2年目の今は看護師リーダーと共に病室を巡回し、患者さんの声を改善に繋げる毎日。中には「帰っても一人だから退院したくない」とリハビリに消極的な方もいるなど、必ずしも退院を望む方ばかりではないのです。
そんな時は他職種も交えて「どうすれば生きがいをもって自宅に帰れるか」を徹底的に話し合い、その結果、笑顔で退院してもらえた時はやりがいを感じますね。そして患者さん、看護師、医師の橋渡しとなり、昨日より今日いい現場にすることが私の目標です。
今はコロナ禍で病院選びも難しいでしょう。ならば、私や同期が20年辞めていない離職率の低さを参考にしてみては?さらに教育体制やメンタルサポートなど二重三重の支援も、必ず新人を支えてくれるかと。今から夢に挑戦できる若さがあるなんて羨ましいですよ。
私が岩手県出身ということもあり、地方出身者も大歓迎。最初はホームシックにかかりましたが、同期の仲間が「全て分かってくれる友達」のように支えてくれました。看護学生の皆さんも一生つき合える同期に出会って!
「放射線よろずラウンド」と称して、放射線治療に関わる病棟の看護師さんのもとを回る。それが今の私のライフワークですね。がん放射線療法看護認定看護師は県内に10人しかいない“レアキャラ”。その資格を武器に「放射線のことなら何でも相談して」と巡回しているんです。
入職7、8年までは、認定看護師になるなんて考えもしなかった。そんな中、いざ放射線チームに配属された時、「私の知識、何もないな」と痛感し、金曜土曜に通える学校でゼロから学び始めました。支えになったのは家族。2歳だった下の子も、休日に私がブラブラしていると「お母さん、勉強しなくていいの?」と。小さな鬼コーチを前に、やらなきゃと思いましたね。
放射線治療は繊細で、空腹時と満腹時では胃の大きさが違い、当てる放射線の量も変わってしまうもの。設計図通りに治療するためには患者さんの協力が欠かせません。例えば医師に「(照射時に)尿を〇㏄貯めた状態で来てもらって」と言われれば、患者さんには「家を出る前に1回排尿し、その後お茶を1杯飲んでからバスで来てください」と、一人ひとりの生活に合わせて細かくケアをしていきます。
そんな中、今も覚えているのは終末期の患者さん。当初は心を閉ざしていたものの、日々向き合う中で、数年にわたり治療を前向きに受けてくれました。しかしある日、家から電話で「もう動けない。後は妻のそばにいたい」と。その時、これで最後だとお互いに感じながらも「じゃ、またね」「おう、またな」と、いつものように別れたのです。事実それが最後となりましたが、患者さんの人生に伴走できるこの仕事の意味を教えてくださった方でした。
この病院の魅力は、“お姉さん看護師”が多く、新人に失敗させてくれること。私の場合は「自分でできる」と勇み足になりがちだったのですが、「相談しないと、ほら、こうなるでしょ?」と失敗を通して学ばせてくれるんです。だから皆さんも大丈夫。放射線治療に興味があれば、一緒にやっていきませんか?
がん放射線療法看護認定看護師の勉強のために進学したいと上司に伝えた時のこと。「もう今年度の締切、過ぎてるわよ」と言いつつも、「交渉してみる」と学校にかけあい、進学をサポートしてくれたご恩は忘れません。学んだスキルを必ず病棟に返していきます!
実は私、一般病棟をこっそり覗きに行くことがあるんです。私が勤務するHCUに運ばれた時は寝たきりで、ご飯も自分で食べられなかった患者さんが一般病棟に移り、一人で食事をしている姿を見るのが嬉しくて。「私のことは覚えていないだろうな」と思いつつも、回復のお手伝いができてよかったと、やりがいを感じる瞬間です。
私が看護師を目指したのは、人の役に立つ仕事がしたいと思ったから。見学会に参加した脳卒中・神経脊椎センターでは、実際に先輩がモニターを見せてくれたり、医療器具を触らせてくれたりする中で、リアルな現場が立ち上がってきたんです。「市立病院だから、結婚して出産した時も戻ってきやすいよ」という先輩の言葉も、長く働きたい私には響きました。
翌春、念願叶って入職したものの、HCU病棟に配属された初日は不安だった。そんな時、「よろしくね!」と満面の笑みで話しかけてくれたのが、年の近いフレッシュパートナーの先輩でした。この先輩達と共に「この患者さんは熱が上がりやすいから気をつけようね」「この方の血圧はどうやってコントロールしようか」と相談しながら、呼吸から循環まで患者さんの全体像を掴んでいく毎日です。先輩からは、「今日はこういう点が足りなかった」「ここは良かった」と、私より私を理解して助言をもらえるのが勉強になるなと。
ただ、私はまだ、患者さんに状態変化があった際、身体の中でどんな変化が起きているのかを正確に把握し、医師に報告する能力が足りないので、もっと食らいついていくつもりです。
入職して1年ですが、HCUで学んだのは、看護とは“気づくこと”ではないかということ。脳に損傷を持ち、自分で話すことができない方も多い分、痛みや苦しみ、状態変化に敏感に気づくことが、私のいる意味だと思っています。だからこそ血圧の変動、手足のむくみなど、患者さんが発する声なき声に耳を澄ませ、わずかな変化も見逃さないよう、すくい取っていきたいですね。
フレッシュパートナーのA.W.さん!私が少し元気がない時など「今日、表情暗いよ、大丈夫?」といつも気にかけてくれて感謝しています。また私は病院近くの寮生活なので、寮にも同期や先輩がいて、相談できる場所が2つもあるのも心強いですね。
「退院が決まったから会いに来たよ」。HCU病棟に運ばれてきた時は歩くことさえ難しかった患者さんが、目の前に立ってそう言ってくれた姿は鮮明に覚えています。辛い状況から回復し、さらに名前も覚えて会いに来てくれたことが心から嬉しかった。「3年前のあの踏ん張り時を乗り越えたからこそ、今があるんだな」。ふとそんな思いがよぎった瞬間でした。
3年前の踏ん張り時。それは保健師になる夢を叶えるため看護の経験を積もうと入職して間もない頃のことです。教科書で学んだ病態と、実際の患者さんの状況が点と点で結びつかず、カンファレンスで質問を受けた時にもうまく答えられない。そこで来る日も来る日も勉強する一方、患者さんのわずかな変化を見逃すまいと、看護やリハビリに向き合う中、徐々に発言できるようになったのです。
しかし余裕が出てくると、今度は「早く先輩に追いつきたい」と空回り。成長したいのに技術が追いつかず、焦っていたのが3年前の自分でした。
そんな私を支えてくれたのが先輩達。負けず嫌いの性格を見越したように「大丈夫?自分のペースでいいんだよ」と。医師もリハビリスタッフも皆で新人を育てる体制のもと誰もが気にかけてくれ、フォローの先輩に何でも聞き、沢山学びながら仕事を覚えられたのは私の財産です。だからこそ、私と似た性格(!)のペアの後輩を持つようになった今、彼女が踏ん張り時を迎えた時は一緒に乗り越えたいですね。
現在、HCU病棟で気をつけているのは、意識障害のある方にも、何かケアをする際、一つ一つ必ず声をかけることです。そしてここで学んだ知識を活かし、いつか保健師として、障害を持つ方が“その人らしく”地域で暮らせる橋渡しをしたい。HCUと言うと高度な専門病棟で忙しい印象があるかもしれませんが、定時になると「帰れる?帰ろう」と声をかけ合い、切り替えられるのもいいところ。
急性期、慢性期、回復期まで一貫した看護を学べ、元気になった患者さんの姿を目の当たりにできる現場で、共に頑張りませんか?
パートナーを組む後輩のK.N.さんは、負けず嫌いなところが私に似ているかも。2年目は伸びる時期だから一緒に頑張ろうね。看護学生の皆さんも、必ずいいペアと巡り会えますよ!
緊急搬送されてきた患者さんの周りに、多彩な職種のスタッフが一斉に集まって危機を脱し、「ああ、乗り越えたね」と言い合える。その瞬間にいつも達成感を感じますね。看護師だけでなく医師やセラピストまで、自らのスキルを活かして連携するからこそ、一人の患者さんの命が救えるのだと思います。
「管理職の道に進むんでしょ?」。主任時代、当時の副部長にそう言われたことから志した師長への道。師長になって改めて思うのは、いざという時に連携し合える人間関係を普段から築く重要性です。そこで看護師同士はもちろん、他職種のスタッフの業務や成長にも目を配り、廊下ですれ違う瞬間などにも「うまくいってるね」「あそこ頑張ってるね」と、声をかけるようにしています。
何より新人の若さと情熱には期待しています。最近はコロナ禍で、実習ができないまま配属されるケースも多いですが、現場では体験を重視しているので大丈夫。例えば患者さんの入浴介助では実際に体重を感じ、「右足が動かせない場合はどこを支えないといけないか」などを体験してもらいます。
介助後には「どうだった?」「何が足りなかった?」と必ず聞きますよ。そこから「もっとここを改善できる」など課題を言語化し、次の介助に繋げていくのです。病棟には特殊な機械を付けた方、胃ろうの方など様々な患者さんがいるので、ぜひ多くの方と向き合ってください。
そんな中、この仕事で避けて通れないのが“死”。ご遺族に配慮して涙を懸命にこらえる若手看護師もいますが、時には寄り添いながら共に涙を流してもいい。ご家族の気持ちを理解し、少しずつ強くなることが、やがて医療や看護の質の向上に繋がるはずです。
当院では病院見学、インターンシップなどを企画しているので、まずは参加してみませんか?搬送されてくる患者さんを助ける輪に、いつかあなたが加わってくれたら嬉しいなと思います。
私は中学生まで小児ぜんそくで、年1回は入院していました。その時、明るく接してくれた看護師さんに出会ったことが、今の仕事を志したきっかけです。人生、どこで道が拓けるか分かりませんね。