職種紹介

職種紹介

薬剤師

約700種類の
薬はもちろん、
患者さんの思いも
理解する。

横浜市立脳卒中・
神経脊椎センター
薬剤部
H・Mさん

薬剤師とは

チーム医療においてますます存在感を高めているのが薬剤師。外来・入院患者さんへの調剤製剤、服薬指導、薬品管理業務のみならず、医師に薬物治療のアドバイスも行います。例えばがん治療では、医師が腫瘍の縮小を目指す中、薬剤師は「副作用に苦しんでいないか」という視点から辛さを軽減できる薬剤を提案するなど、共に患者さんにとって最良の治療に取り組んでいます。

人間とITの両方で薬剤管理

 見てください、左の写真。私たちが働く薬剤部の現場です。置いてある薬品は約700種類。すべての薬品名と効能を把握し、患者さんの症状に合わせて処方するのです。万が一にも間違いがないよう、指定と異なる薬剤を棚から取り出した場合には、ビビッと警告音で知らせてくれるバーコードリーダーも導入。こうしたITシステムと、我々の知識の両方で安全な調剤の徹底に努める毎日です。

頼れる先輩方に支えられて

 子どもの頃、薬を手渡してくれる薬局のお姉さんに憧れ、志した薬剤師の道。大学時代の病院実習では、他職種と連携しながら活躍するその姿を前に、「私もチーム医療に関わりたい」と思い病院薬剤師の道を選びました。令和2年に入職した脳卒中・神経脊椎センターでは、新人トレーナー制度のおかげで、歳の近い先輩にマンツーマンで学べたのが心強かったですね。
 覚えているのは、初めて一人で当直に入った時のこと。「難しい症例だったらどうしよう」と不安に思っていた私に、「いつでも連絡してきていいから」と声をかけてくれたのは先輩でした。それが安心材料になって前を向け、歴代の先輩たちが書き残しておいてくれた当直中の医師からの問い合わせ記録にも支えられ、何とか一晩乗り切ることができたのでした。

患者さんの小さな声に耳を澄ませる

 入職から3年を経た今、薬剤師の役目は、患者さんの小さな声に耳を傾けることだと思っています。「眠れないんだけど、どうしたらいい?」「お通じが出ないんだよ」「副作用が辛い」。そんな患者さんの悩みを聞き逃さず、少しでも改善できるよう薬剤師の視点を伝えて治療方針に反映してもらうのも重要な仕事。もちろん、「この成分はせん妄リスクが高まる」「腎機能が低下した方にはこの成分は使えない」など、患者さんによって調節方法が異なるので、他職種と連携して疾患を正確に把握しつつ、薬剤調整に努めています。
 そうした中、先輩は医師から問い合わせがあった時に、状態に合わせて瞬時にいくつかの選択肢を提案できるのが「さすがだな」と。私も、医師からも患者さんからも信頼される薬剤師になるのが目標ですね。

一日一つ、新たな知識を身につけて帰る

 先日も、患者さんから学ぶことがありました。「一包化」と言って、毎日飲むお薬を一つの袋にまとめて入れる調剤方法があるのですが、ある患者さんが「一包化の袋は開封しにくい」とぽつりと呟いたのです。この方は手のしびれがあり、通常のPTPシートの方が開けやすいとのこと。教科書通りではなく、患者さん一人ひとりに合わせなければと痛感した瞬間でした。
「千里の道も一歩から」と言いますが、患者さんに寄り添った治療を行うには、今この時の勉強が重要。そのため、一日一つでも新たな知識を身につけてから家に帰ろうと挑む毎日です。

H・Mさんからのひとこと

 山登りが趣味で、先日は“地獄のぞき”で有名な鋸山に行ってきました。毎日一生懸命働いている分、山登りで体を動かして、帰りに美味しいごはんを食べるのがご褒美。最高のリフレッシュになります。

職種紹介

理学療法士

患者さんの
身体と同時に、
心も動かす仕事。

横浜市立市民病院
リハビリテーション部
H・Oさん

理学療法士とは

何らかの原因によって身体機能が低下した方や、低下が予測される方に対し、基本動作能力(座る・立つ・歩くなど)の回復や維持、予防を目的に、運動療法や物理療法などを行う専門家。急性期病院である市民病院と、急性期から回復期までの脳卒中の患者さんを中心に受け入れている脳卒中・神経脊椎センターの両院で、様々な状態の患者さんの日常生活の支援に携わっていきます。

四季を感じるリハビリルーム

 病棟の長い廊下を抜けると、目の前に広がるのは、気分まで晴れ渡るような日当たりのよい空間。それが私たちの働くリハビリテーションルームです。快晴の日には富士山が望め、春には三ツ沢公園の桜が見えるこの場所で、リハビリ中の患者さんと共に「もう春ですね」などとお話しするのは楽しい時間です。しかし、リハビリに積極的な方だけとは限りません。私たち理学療法士は、患者さんの身体を動かす前に、まず心を動かすことが大事だと学んだのもこの場所でした。

患者さんの心の壁も取り除く

 それは、入職間もない頃のこと。リハビリに消極的な患者さんがいました。身体はそろそろ動かせるはずなのに行動に移せない。そこには心理的な壁があるのではないかと思ったのです。そこで毎日お伺いし、お話していく中で、「術後間もないので動くことへの怖さがある」「以前の生活に戻れないのではないか」など、徐々に心情を吐露してくれるようになりました。そんな風に、病気だけではなく、その人自身を理解しようと努めていたある日、「じゃあ、今日は動く」と勇気を出して一歩を踏み出してくれた時のことは忘れられません。初対面で「さあ、動きましょう」と切り出すのではなく、信頼関係を築くことが大切だと気づかせてもらった経験でした。

リハビリの主役は患者さん

 日々のリハビリでは、身体を起こすお手伝いをはじめ、松葉づえで歩く練習などもサポートし、患者さんのできる動きを引き出せるようにしています。その中で、先輩によく言われるのは「主役は患者さん」ということ。つい自分を主役に「ここまでリハビリ計画を達成できた」と満足しがちですが、患者さん自身に「昨日より動けるようになった」と感じてもらうことが重要だと。そのためにも刻々と変わる症状に目を凝らし、患者さんに置いていかれないように気をつける日々です。そして「今日はここが上手になりましたね」「前はできなかったことが、今はできています」とお伝えした時に、「そうか、確かに」と喜んでいただける笑顔を見るのが一番のやりがいです。

あの日の先輩の背中を追って

 中学高校と、陸上やバレーボールをやっており、スポーツに関わる職業を探していた時に見つけたのが理学療法士でした。そんな中、横浜市立病院は、急性期と回復期の2施設の臨床に携わることができ、2倍の経験ができるのがいいなと思ったのが志望の理由です。中でも病院見学の際、理学療法士が患者さんの話を親身に聞き、歩く様子を少し離れて眺めては困った時にすぐさま手を貸す姿を間近に見て、ここで働きたいと思うようになりました。あれから1年、夕日に染まった長い廊下を、リハビリを終えた患者さんと共に歩く時、夢への一歩を少しずつ踏み出せている、今を生きていると感じています。

H・Oさんからのひとこと

 気分転換は、散歩と写真。横浜を歩きながら見上げた空や、市民病院から見える夕日、四季によって表情を変える富士山などをよく撮っています。ひとつとして同じ空はないように、患者さんとの一期一会を大切にしていきます。

職種紹介

作業療法士

亀と金魚の
世話をしたい。
その生きがいを
応援したかった。

横浜市立脳卒中・
神経脊椎センター
リハビリテーション部
R・Kさん

作業療法士とは

運動療法や物理療法を行う理学療法士に対し、作業療法によるリハビリに従事するのが作業療法士。手に障害を抱えた患者さんならば、その人が好む手作業を行いながら「食事、着替え、洗顔、料理」などの生活技能を向上させ、「早く社会復帰したい」と思えるような心のサポートも行います。当院では、先輩職員が新人を支える「トレーナー制度」を導入しており、先輩の高い技術やコミュニケーション力を間近で見ながら成長していけます。

リンゴが見えない患者さんと

「リンゴの絵を描いてみましょうか」。そう言うと脳血管障害の方の中には半分しか描けない方がいらっしゃいます。物自体は見えているものの脳が認識できない「半側空間無視」という症状によるもので、私たち作業療法士はこうした方々のリハビリにも携わっています。例えば左側が見えないなら、リンゴの位置を視界内にずらしたり、実際にリンゴを触ってもらったりして認識を促す。これらの訓練を繰り返すことで、見えていない側にも注意を払えるようにするのです。

叔母のリハビリを支えた作業療法士

 作業療法士を志したのは高2の頃、がんを患った叔母がきっかけでした。懸命なリハビリの結果歩いて帰ってきたのですが、それを支えたのが作業療法士であると知り、私もこんな風に人の役に立ちたいと思ったのです。
 令和3年に入職した脳卒中・神経脊椎センターでは、「経験豊富な先輩がいる」と聞いていた通り、一人ひとりが本当に凄かった。例えば私の対応では全く起き上がろうとしてくれなかった患者さんを、声がけひとつでみるみるやる気にさせてしまう。何よりそれぞれ得意分野を持っているので、症例に合わせて相談できるのが心強いなと。そんな中、「手に麻痺をもった患者さんが以前より強くペットボトルを握れるようになった」「介助が必要だった方が、一人でパジャマのズボンを下ろせるようになった」といった、日々の改善に大きな喜びを感じます。

家庭訪問で退院後の環境を知る

 中でも気合が入ったのは、ある患者さんから「退院したら亀と金魚の世話をしたい」と聞いた時。餌をやる、水槽を洗うといった動作の一つ一つが生きがいに繋がるので何とかサポートしたく、水槽と同じ大きさの容器を探して、「持ち運ぶ、傾ける、元に戻す」などの動きを何度も共に練習しました。家庭訪問にも行ったのですが、実際に見ると「段差があるな」「動線はこの方がいい」と具体的にわかり、家庭環境に合わせたリハビリを行えたのです。そして退院3か月後、「あなたと練習した通りにできているよ」と報告に来てくれた笑顔は財産です。

プロとして見てくれる患者さんのために

 まだ2年目の私ですが、リハビリの目標設定を「あなたに任せるよ」と言ってもらえる時などには、「経験年数は関係ないんだな」と身が引き締まる思いがします。だからこそ新たな技術を試す勉強会にも参加してスキルを高める日々です。作業療法士になるきっかけをくれた叔母さん、ありがとう。思うように動けない患者さんの焦りやもどかしさを現場で初めて知ったからこそ、その気持ちに寄り沿いながら頑張っていくつもりです。

R・Kさんからのひとこと

 最近感じるのは、求められる以上の結果を残せる人がプロフェッショナルだということ。経験豊富な先輩のもとで、技術的にも人間としても成長したい方には、当院はおすすめだと思います。

職種紹介

言語聴覚士

言語のリハビリを通し、
生活を再構築する
道のりを支えたい。

横浜市立脳卒中・
神経脊椎センター
リハビリテーション部
A・Oさん

言語聴覚士とは

言語、聴覚、発声、発音など、コミュニケーションに関わる機能や、摂食・嚥下機能に障害を抱えた患者さんを対象に、検査・評価や訓練・指導・支援を行う専門家。失語症や構音障害、嚥下障害、言葉の発達の遅れ、聞こえの障害に至るまで幅広く対応します。

少し頑張ればできる問題から

「水( )流れる」「枝( )折る」「話( )聞く」。これは失語症の方向けの訓練教材の一例です。脳血管障害などで脳が損傷すると、時として言葉が理解できない、うまく話せない、字が書けない、読めないなどの症状が表れます。そこでこうした課題を通して言語機能の改善に努める他、摂食・嚥下障害や音声・発声・構音障害のリハビリにも携わるのが私たち言語聴覚士です。

日本語教育を学ぶうちに、言語障害に興味

「フランス人は、地図とチーズを聞き分けられないのか」。日本語教育を専攻していた学生時代、母語で聞き分けられる音の長さが違うと知り、言語を司る脳の不思議と言語障害に興味を持ったことが、言語聴覚士を志すきっかけでした。卒業後は児童発達支援施設などに勤務していたのですが、成人の臨床にも携わりたいと思い、令和2年に脳卒中・神経脊椎センターに入職したのです。
 入職当初は、患者さんの前に立つだけでも緊張しました。お一人おひとりの言語障害の状況を判断しながら信頼関係を築く難しさは学生時代から知っていたものの、改めてプロとしての責任の重さを感じたのです。そこで先輩の指導のもと、患者さんが話したいことをうまく言葉にできない場合、「どこで躓いているのか」を探って仮説を立てることから始め、失語症の方であれば症状に合わせた会話訓練や冒頭の課題を含めた様々なリハビリを行うなど、経験を積んでいきました。

経験は、関わるタイミングにも出る

 中でも先輩から学んだのは、患者さんとの関わり方。例えば、失語症の方が何か言おうとしながらもスムーズに言葉が出ない時、先輩は意欲を削がないようにタイミングを計りながら「鉛筆で書いてみましょうか?」とスッと鉛筆を差し出す。そうした関わりを通して、信頼関係が築かれるのです。だからこそ、私もまずは“患者さんが話したいと思う存在” になれるよう努めています。
 そんな中、何より嬉しいのは、入院当初はいくつかの音しか発声できなかった患者さんが、退院する頃には、少し歪んだ音ながら趣味や好きな音楽の話ができるまでに回復された時ですね。急性期から回復期まで1人の患者さんを一貫して担当できることは、当院で働く大きな魅力だと思います。

患者さんの生き様に学ぶ日々

 私たち言語聴覚士は患者さんを支える立場ですが、一方で患者さんに多くを学んでいるとも感じます。例えば「元の仕事には戻れない」と分かった時、悩み、考え、やがて「別の方法で生きていこう」と決断する瞬間があり、人生で当たり前だったものを失った際にどう生きるかを見せられている気がするのです。そしてご自身の状態に折り合いをつけ、今できる目標に取り組もうとする姿には頭が下がる思いです。だからこそ「家族とLINEのやりとりをしたい」「手紙を書きたい」といった一人ひとりの願いに全力で応えたい。そのために、昨日より今日、技術力と人間力を高めた自分でいたいと思っています。

A・Oさんからのひとこと

 新卒での入職ではなかったにもかかわらず、臨床場面の見学、レポート作成、訓練課題の相談など、先輩方には丁寧にご指導いただきました。困った時は支えてくれる先輩が周りにいるので、安心して臨床に取り組める環境だと思います。

職種紹介

視能訓練士

患者さんの人間性に
学びながら、
視能検査に挑む日々。

横浜市立市民病院
眼科
Y・Sさん

視能訓練士とは

視力や視野などの検査から、斜視や弱視の方の視能訓練、ロービジョン(視機能低下者)の方のケアまで行う“目のスペシャリスト”。眼科医師の診断には、精密で正確な検査が不可欠であり、「いい視能訓練士がいるかどうかで診療のレベルが変わる」とさえ言われます。その分、日々の鍛錬が不可欠で、当院では、通常の視能訓練士に加え、「認定視能訓練士」「専門視能訓練士」などの資格取得も強力にサポートしています。

思いやりの心を教えてくれた患者さん

「この台にお顔を乗せてください。検査を始めます。機械の中心にある黒い丸を見続けながら、少しでも光を感じたらボタンを押してください」。これは、視野を測るゴールドマン視野計(左写真)での検査の一コマです。脳卒中や脳梗塞、緑内障の患者さんは視野が欠けることが多いため、私たち視能訓練士は、例えば右側の脳梗塞の場合は左半側の視野が欠けやすいことなどを意識しつつ、その方に合わせて検査を行います。そういう意味で視能訓練士には技術や知識が必要ですが、患者さんにとっても集中力が強いられる検査。そんなある日、姿勢を保つのも難しい脳梗塞の患者さんが検査を終えた後に、「ありがとう。この検査は僕も大変だけれど、あなたも大変だね」と言ってくれた時には、ご自身が苦しい中でも相手を思いやる姿勢に大切なものを教えられました。

患者さんが納得していれば、それが正解

「こんな職業があるんだ」。高校の頃、職業紹介サイトを眺めながらそう感じたのが「視能訓練士」という仕事。私は視力がよいので眼科とは無縁でしたが、人の役に立てる仕事に魅力を感じ、一から勉強していきました。卒業後、令和2年に入職した市民病院では、一般的な近視や遠視から、糖尿病やHIVなどの合併症として現れる視力低下や視野狭窄まで、多くの検査に関わる日々ですね。
 そんな中、先輩の言葉で覚えているのは、「(眼鏡を新調される際の視力検査では)患者さんが納得していれば、その度数が処方の正解」ということ。例えばこちらが理論上最適な度数と考えても、患者さんには「度が強くて歩きにくい」「もっと細かな字が読めるようにしたい」とそれぞれの思いがあり、そのニーズを汲み取ることこそ重要だと肝に銘じているところです。

耳の不自由な患者さんと共に

 ある日、ろう者の患者さんが、Hess検査(両眼の動きが正常かを調べる検査)に訪れた時のこともよく覚えています。これは暗室の壁に点いた赤い光に、患者さん自らがペンライトの緑の光を重ね、眼球の動きを測定する検査なのですが、ボードでやり方をご説明するも私の力不足でうまく伝えられませんでした。そこで顔の位置がズレたりする度に電気を付けては「お顔を固定してくださいね」などと筆談を繰り返し、患者さんと共に乗り切っていきました。この時、「様々な障害を抱えた患者さんや外国人の方にも、スムーズに対応できる力を身に付けなければ」と、さらなるスキルアップを誓ったのです。

先輩方に一歩でも近づきたい

 入職から4年、日々感じるのは、先輩方の技術力の高さです。「能ある鷹は爪を隠す」と言いますが、患者さんに常に謙虚でありながら、私がうまく測定できない時にサッとやってのける姿に圧倒されるのです。こうした優れた手技に学びながら、今後は集中力が続かない子どもの検査の迅速化を始め、あらゆる検査に柔軟に対応できる視能訓練士を目指していきます。

Y・Sさんからのひとこと

 採用式で出会った他職種の同期とは、コテージを借りてキャンプをするほどの仲。院内には様々な職種の方がいるので、進んで繋がりを持とうと踏み出せば、多くの仲間ができますよ。

職種紹介

心理療法士

真摯に話を聞くことで、
患者さんは
自らを取り戻していく。

横浜市立脳卒中・
神経脊椎センター
リハビリテーション部
H・Fさん

心理療法士とは

心の疾患を抱える患者さんが増えている現代社会において、その症状を評価し、カウンセリングや治療を行う“心の専門家”。当院では、平成30年に誕生した国家資格「公認心理師」と、民間資格「臨床心理士」「臨床神経心理士」の資格を取得した心理療法士が、他のリハビリ専門職と共に患者さんの診療に当たっています。具体的には高次脳機能障害の患者さんへの認知リハビリテーションやカウンセリング、認知症を心配して受診した方の心理検査、物忘れドックの心理検査を担当します。

箱庭に込められた無意識と対話する

「これ、何ですか?」。面接室に入ってきた患者さんの多くがこう尋ねるものがあります。砂箱と、棚にぎっしりと並ぶ無数のミニチュア玩具。心理療法の一つ「箱庭療法」に使うアイテムです。「面白そう。ちょっとやってみたい」と患者さんから言われ、自然な流れで箱庭づくりが始まることもあります。私がこうした心理療法に関心を持ったのは高校時代。砂箱の中に人や動植物、乗り物、建物などのミニチュア玩具を心の赴くままに置いていくのですが、何をどう置くかにその人の無意識が表現され、日々変化していくことを興味深く感じたものでした。そこでこれらの心理学を仕事に活かすべく進んだのが、心理療法士の道です。

知識不足を痛感した入職当時

 大学院で教育臨床心理学を修め、脳卒中・神経脊椎センターに入職したのは平成10年。まず痛感したのは、大学院で学んだ知識だけでは圧倒的に足りないということでした。そこで他院の研修に参加するのはもちろん、他職種と連携しつつ、現場で知識を身につけていったのです。カウンセリングで重視してきたのは、患者さんの声に耳を傾けること。当センターには、自分の能力の突然の変化に驚き、悲しみ、苛立ちながらも、懸命にリハビリに取り組む高次脳機能障害の患者さんが多くいらっしゃいます。そんな患者さんに意見するのではなく寄り添い、胸の内を吐き出してもらうことで、心の整理をお手伝いするのです。そして時に一緒に対処方法を考え、トレーニングを行いながら、患者さんお一人おひとりと共に進んできました。

「親以上の存在」という言葉を胸に

 今も覚えているのは、20代の頃、高齢の患者さんに「リハビリの先生たちは親みたい。いや、親以上の存在だ」と言われたこと。日常生活を取り戻すために、孫ほども歳の差のある私たちを信頼しリハビリに真摯に取り組む姿に、こちらも背中を押されたものでした。最近では「心理療法士とカウンセリングをしても全然変わらなかったよ」と言った患者さんの言葉が忘れられません。一瞬がっかりしたものの「病気になると、その日から患者さんになってしまうが、ここで話したことで、自分は元の自分なんだと確認できた」と。しなやかに自分らしさを取り戻していく様子に、いつも感銘を受ける日々です。

患者さんとの一期一会が大切

 最後に、これは10年前の話ですが、夜中にポンと肩を叩かれ「霊安室はどこですか?」と聞かれたことがありました。時間帯もあり驚きましたが、聞けばその方のご親戚が当院でお亡くなりになったとのこと。その時、ハッと気づかされたのは、会って話せる患者さんがいる一方で、会えなかった方々もいるということです。だからこそ縁あって出会えた方々との一期一会を大切に、患者さんそれぞれの心の庭と向き合っていければと思っています。

H・Fさんからのひとこと

 遠距離通勤ということもあり、時間のやり繰りが必要なので、休日を利用して保存がきく料理の作り置きをしています。最近作ったのは牛すね肉と野菜のトマト煮込み。仕事と家事は、意外と両立できるものですよ。

職種紹介

管理栄養士

祖母がくれた
管理栄養士の夢。

横浜市立市民病院
栄養部
A・Aさん

管理栄養士とは

全ての入院患者さんの栄養状態を把握し、食事や栄養計画を行うスペシャリスト。栄養は治療効果を底上げする重要な役割を果たすため、医師や看護師、薬剤師と協働し、一人ひとりの状態に合わせた栄養管理を行っていきます。例えば以前と同じ食事が摂れなくなった患者さんに対しては、形態を変えたり、栄養補助食品を加えたりして“食べる喜び”を感じてもらい、退院後も健康を保てるよう栄養相談などにも携わります。

療養中、食事が楽しみだった祖母

 普段はツンとした感じなのに、私が小学校から帰ってくると、私の好物の塩昆布やお菓子を毎日冷蔵庫に入れて待っていてくれた。そんな祖母が中学2年の頃、末期の大腸がんを患い、在宅介護になった時は家族の誰もが心配しました。日に日に笑顔がなくなり、話すのも大変になっていく。それでも母が「最後まで体によく美味しいものを」と無添加の食材で作ったおにぎりや素麺を食べている時だけは、嬉しそうだったのです。「ああ、食事ってすごい」。そこから管理栄養士への道が始まりました。

名店とコラボしたスープに魅かれて

 数ある病院の中でも市民病院を選んだきっかけは、元町の名店・霧笛楼と共に野菜スープ「スープ・ドゥ・レギューム」を開発するなど、その活動に感銘を受けたから。これは“植物だし”の旨味を活かして脂質やカロリーを抑えたスープで、入職後、検食してみると、煮る時間によって味も変わり、食の楽しさを思い起こさせてくれるのです。「私も健康と美味しさの両方を叶える食で患者さんを後押ししたい」。そんな決意を新たにした瞬間でした。

愚痴を聞くことも栄養相談

 初めて栄養相談を受け持った日のことは今も覚えています。ガチガチに緊張していたのですが、不思議なことに最初の患者さんが亡き祖母に似ていたのです。途端に緊張がほぐれ、リラックスした雰囲気でお話しした時間は忘れられません。
 とはいえ、管理栄養士としては未熟な1年生。最初の頃は制限時間内に一方的に知識を伝えてしまうことも多々ありました。そんな姿を見ていた先輩が「一回の相談で食生活を変えるのは難しいよ。継続的に支援すればいい」と。そこで、「揚げ物が続いていますね。お肉を食べたい時は茹でで脂質を落として」という風に簡単に取り入れやすいことから始め、私生活や愚痴も聞き取っていこうと思ったのです。次第に、相談終わりに「楽しかった」「頑張ってみる」と言ってくださる方や、「減塩で使いやすい商品があるの」と逆に教えてくださる方も増えていき、「ずっと食事療法を継続している」と報告に来ていただける時などは特に嬉しいですね。

祖母にできなかったことを患者さんに

 今年からはいよいよ病棟担当になります。口から食事を摂れない経腸栄養の方や、点滴で栄養投与をされている方が一日も早く回復し、もう一度食べる喜びを味わえるよう栄養管理に努めるつもりです。もし祖母が見ていたら「よくやっているね」と言ってくれるんじゃないかな。あの頃、まだ知識がなく祖母にできなかった分も、精一杯患者さんに尽くしていきたいと思っています。

A・Aさんからのひとこと

 休日に通っているのがホットヨガ。普段はデスクワークが多いので、滞りやすい血流を改善し、汗をかいてすっきりしています。また、気になっていたお店で友人と食事をするのも、素の自分に戻れる大切なひととき。皆さんもONとOFFのメリハリを大事に頑張ってください。

職種紹介

臨床工学技士

急変に際して
迅速に動ける。
そんな技士でありたい。

横浜市立市民病院
臨床工学部
K・Mさん

臨床工学技士とは

心臓血管外科手術、集中治療、救急医療などの場面において高度医療を行う“いのちのエンジニア”。急性期から在宅医療、医療安全管理、感染症医療、災害医療など医療機器が使用されるすべての場所が活動のフィールドです。医療の高度化は医療機器の発展によって支えられており、この変化は将来にわたって続きます。従って、日々スキルを磨き続ける臨床工学技士は、高度医療を支える当院において今後ますます活躍が期待されています。

オープンキャンパスで電気メスを知る

 電気メスや人工呼吸器などがズラリと並んだ体験ブースに立った時、「こんな世界があるんだな」と、グッと興味を惹かれました。看護師志望の姉の付き添いで中学の頃に参加した大学のオープンキャンパスでのこと。例えば電気メスでは実際に生肉を切る体験をしたのですが、切っている間中、ずっと焦げたニオイがしていたのに驚いたのを覚えています。「焦がすことで止血しながら切っている」と聞いて「なるほど」と。また人工呼吸器の体験ブースでも、横たわったダミー人形の胸が、送り込まれた空気により一定のリズムで上下するのを見て、「様々な技術が命を支えている」と魅せられた思いでした。思い返せば、この経験が臨床工学技士への道を進ませた気がします。

患者さんの表情から変化を読み取って

 大学で臨床工学を学び入職した市民病院では、常にメモを持って先輩の後をついて回り、新たな知識を吸収する日々でした。そうした中、徐々に人工呼吸器の患者さんも担当できるようになり、モニターの波形はもちろん、患者さんの呼吸の状態、胸の動き、僅かに読み取れる表情の変化などを総合的に判断して、危機を脱せるよう努めていきました。嬉しいのは患者さんの顔色が日に日に良くなり、人工呼吸器が外れて話せるようになった時ですね。そこで「あの時、どう思っていたんですか?」と聞くと、「ちょっと苦しかった」「あまり覚えていないんだよ」と答えてもらえるなど、当時の状態とすり合わせられるのも貴重な経験です。

防護服に身を包んだ1年目

 入職した令和2年はまさにコロナ禍の真っ只中で、次から次に来る患者さんに対し、カテーテル作業から透析まで感染防護服で対応しました。カテーテル室や血液浄化センターでは急変が多いのですが、時に即座に対処できない自分がもどかしく「すぐに動けるようしなければダメだな」と。そこから挑戦したのがBLS(一次救命処置)とACLS(二次救命処置)の資格取得です。これらは人工呼吸や、乳児の窒息の解除などの処置を学ぶもので、上司に合格を報告したところ、「インストラクターをやってみたら」と促され、今は院内で職員への指導をしています。教えることで知識が深まることも多く、昨今は急変時の動きも迅速になってきたかなと。この経験も土台に、今後は集中治療の認定資格を目指すつもりです。

街で目が行くのがAED

 駅構内を歩いていてもつい見てしまうのはAEDの場所。仕事場以外でも、誰かが急変した際にはどう救助するか、常にシミュレーションしている自分がいます。そして医療機器が日進月歩で進化する中、未知の機器操作にも果敢に挑戦し、分からないことは恥だと思わず周囲に聞くというのが信条ですね。「私はこうだと思うのですが、先輩いかがですか?」。そう貪欲に食らいつき、患者さんにとって最良のやり方を見つけたいと思います。

K・Mさんからのひとこと

 1年目はローテーションでICUの呼吸業務、血液浄化業務、血管撮影室業務を担当し、2年目から一人で夜勤に入れるよう経験を積みます。先輩によって色々なやり方や考え方があるので、その中から自分に合った方法を探しています。

職種紹介

診療放射線技師

撮影範囲すべてに
目を凝らし、
どんな疾患も
見逃さない。

横浜市立脳卒中・
神経脊椎センター
画像診断部
S・Kさん

診療放射線技師とは

X線、CT、MRI、マンモグラフィの撮影を始め、がんの3大療法の一つである放射線治療も担うのが診療放射線技師。いずれの撮影や治療においても人体解剖への理解と、疾患に対する知識が必要であり、技師の手腕の差が画像に顕著に現れます。画像診断機器の操作をし、撮影を行う印象を持たれがちですが、実は最適な検査・治療方法を探るため、常に患者さんと向き合う仕事です。

バスケ部時代、身近だった放射線技師

「今、一体、何周目を走っているのだろう」。高校のバスケ部時代の朝練で、グラウンドを15キロ走った時の感覚は今も思い出します。こうした厳しい練習に加えバスケは激しいプレイの連続で、骨折することさえ何度もありました。その度ごとにX線検査でお世話になったのが放射線技師。もともと看護師志望でしたが、進路を決める際の病院見学で馴染みのある放射線技師が働く姿を改めて目の当たりにし、「誰よりも早く病気やけがを見つけ出せる技師になろう」と方向転換したのです。

短期目標が明確だから、頑張れる

 横浜市立病院を選んだのは、特徴が異なる2施設の臨床現場に携われ、充実した人材育成制度のもとスキルアップできると考えたから。入職1年目なら「9月までに夜勤に入る」「土日勤務に一人で対応」などの目標設定があり、それを目指して進んでいけるのです。
 ただ、いざ撮影となると、医師の望む角度・範囲で撮るのは容易ではなく、自らが撮った画像を前に自己嫌悪に陥ることもしばしばでした。例えば膝に金属が入っている患者さんの場合、手術の経過や癒着の具合を知るため、膝の骨と金属の接線が見えるように撮る必要がありますが、1㎜単位のさじ加減が難しい。そこで「患者さんがどんな姿勢なら鮮明に映るのか」、骨の仕組みや内臓の位置を理解する解剖学から学び直していきました。何より現場で教えられたのは、検査目的にのみ気を取られないこと。仮に腰椎の撮影であっても、その周囲の腎臓や子宮に問題があるケースもあるため、撮影範囲すべてに目を凝らし、他の疾患も見逃さないよう努める日々です。

患者さんの緊張を解き、線量も抑える

 入職から3年、患者さんを前に気を付けているのは「今日は寒いですね」「どの辺が痛みますか」と話しかけて緊張を解くこと。先日圧迫骨折で「仰向けが苦しい」という高齢の患者さんがいらした時は、「一緒に頑張りましょう」と励ましつつ検査をすると、「あなたみたいな人がいるなら通いたくなるわ」と言ってもらえて感慨深かったですね。
 そんな中、現在は、放射線防護や線量管理のため放射線計測分野の学びにも力を入れています。「どうすれば医師の要望に応えつつ、被ばく線量を抑えたX線撮影ができるか」と検査方法を模索することは、患者さんのみならず技師のためにもなるのでライフワークとしてやっていくつもりです。

将来はマンモの認定資格を取得したい

 今後は、放射線技師を目指すきっかけの一つにもなった「マンモグラフィ」はじめ、様々な認定資格の取得に挑戦したい。自身のスキルアップが検査の質を高め、患者さんのためになると思うと、現状にとどまってはいられません。医療の仕事は人の命を預かる分、大変な面もありますが、苦しい時はバスケ部時代の横断幕にあった「靴一足分の努力」という言葉を思い出し、自分の限界より靴一足分前に進んでいきます。

S・Kさんからのひとこと

 大好きなロックバンドの音楽フェスやライブに行くのが休日の楽しみ。同じ趣味を持つ先輩もいるので、時々語り合ったりしています。しっかり休みが取れて趣味を満喫できるのも横浜市立病院の魅力です。

職種紹介

臨床検査技師

医師からも信頼される、
臨床検査技師を
目指して。

横浜市立脳卒中・
神経脊椎センター
検査部
K・Nさん

臨床検査技師とは

血液検査から採血、病理検査、細菌検査、生理検査に至るまで、多くの臨床検査に関わる検査のスペシャリスト。検査結果は医師の診断や治療の判断に重要な役割を果たすため、正確かつ迅速な作業が求められます。また生理検査・採血業務などでは、患者さんの不安を少しでも和らげられるよう、親切で安心できる検査、接遇向上の取り組みを進めています。

始まりは中学時代の出血時間検査

 今思えば、耳たぶにほんの僅かな痛みを感じた出血時間検査がきっかけでした。中学生の頃、体調が悪くて病院に行った時のこと。小さなカッターナイフのような針で耳たぶを少し切り、止血までの時間を調べるのです。初めての検査に不思議な感覚を覚え、病院に勤務する父に「誰がやっているの?」と聞くと、「臨床検査技師じゃない?」と。それが、臨床検査技師との初めての出会いでした。以後も、一滴の血液から多くのことを調べられる検査は心の中に残り、数年後には臨床検査技師を志すことになると思うと、人生は面白いなと感じます。

先輩が体を張って教えてくれた

 就活で重視したのは、長く働けるかどうか。その点、脳卒中・神経脊椎センターは市立で安定している上に、入職後でも学びたい分野に合わせて市民病院との間で異動できるのがいいなと。何より説明会の時、職員同士が何気なく会話している時の雰囲気が良く「ここで働きたい」と思ったのでした。
 入職1年目で覚えているのは、トレーナーの先輩方が様々な方法で検査のやり方を見せてくれたこと。例えば心電図や超音波など機器類の操作にあたっては、1人の先輩が被験者となって診察台に横たわり、もう1人の先輩が機器を操作して教えてくれるのです。そして「最初は何もできないのが当たり前だからいいんだよ」と未熟な私を励ましてくれた時、「ああ、早くマスターしよう」と誓ったのでした 。

初めて採血を褒められた日

「あら、いつも失敗されるのに一回で採れた。上手だね」。採血の際、患者さんからそう言われた時は嬉しかったですね。血管が見えにくい患者さんの場合、採血は難しいのですが、「冬場は血管が萎縮しやすいので温めて」「食べていないと脱水状態で血管が見えにくいのでお水を飲んでもらって」など、先輩方からいただいた助言がまさに役立った瞬間でした。
 また超音波の画像診断では、ほんの少しでも「疑わしいな」と思う点があったら、レポートに書く前にまずは先輩に見ていただき、意見を仰ぐようにしています。そんな中、先輩は医師から「この所見、どう思う?」と意見を求められていて「凄いな」と。私もいつか他職種に信頼される存在になりたいと燃えているところです。

長崎から横浜へ。置かれた場所で咲く

 私は長崎出身なのですが、横浜は港町でどこか似ていて、懐かしさを感じるんです。「置かれた場所で咲きなさい」とは、好きな本にあった言葉なのですが、私がここ横浜の脳卒中・神経脊椎センターに配属されたことにも何か意味があるはず。「時間の使い方は命の使い方でもある」という著者の教えも胸に刻み、この地に暮らす370万人の方の健康維持に役立ちたいと思っています。

K・Nさんからのひとこと

 ポケットインサイズのノートが、私にとっては必須。先輩が検査しているところを見学して、手順や見方、測定の仕方などをメモしています。今は2冊目ですが、もっともっと増えそうです。

職種紹介

医療ソーシャルワーカー

問題や困難を
抱えた患者さんの
伴走者でありたい。

横浜市立市民病院
患者総合サポートセンター
Y・Hさん

医療ソーシャルワーカーとは

患者さんやご家族が抱える悩みや問題解決のために各種機関との調整・連携を行う専門職。その業務は、受診・受療の援助に始まり、その人らしく地域で暮らすための退院支援、医療費や保険の相談、退院後の社会復帰援助に至るまで多岐にわたります。

忘れられない母子のこと

「何かあったら子どもたちを助けてあげてください」。末期がんと闘うシングルマザーの女性がそう相談に来られた時の表情は、今も忘れられません。未成年のお子さんを残して先に旅立つことが本当に心配だったのでしょう。懸命に語る全身からは、母の愛はもちろん、成長する姿を見届けられない無念さ、何より我が子の支えになってほしいという必死さが立ちのぼっていました。何とか力になりたい。そう思うものの、医療ソーシャルワーカーとして入職間もない私にはまだ解決策が分からず、社会保険労務士の方を紹介することしかできなかった。その時「もっと何かできたのではないか」という思いが、今も医療ソーシャルワーカーを続ける原動力のひとつかもしれません。

先輩の言葉に奮い立つ

 幼い頃から祖父母のいる家庭で育ち、人の役に立ちたいと志した社会福祉の道。しかし市民病院入職1年目は、昨日受療援助をした人が今日亡くなるといった日常に喪失感を抱くこともしばしばでした。うつむいて見えたのでしょう。2年目のある日、上司にこう言われたのです。「この仕事には辛いこともあるが、3年続けたら必ず道が開けてくる。頑張りなさい」と。長年、医療集団の中の唯一の福祉職として多くの患者さんと向き合ってきた上司の言葉には説得力と重みがあり、まだ自分は何も始まっていないと気づかされた瞬間でした。そして「よし、この言葉を信じてみよう。患者さんを支えるにはまず自分が顔を上げることだ」と奮い立ったのです。

患者さんの表情が輝いた瞬間

 何より患者さんが見せてくれた姿こそが、やる気の源になりました。どんなに困難な状況でも生きようとする強さには、尊敬を感じずにはいられなかった。だからこそ、お一人おひとりと関わった経験を次の患者さんに活かさなければと決意したのです。患者さんが見せてくれたものは様々でした。例えばお金の問題を抱えている方であれば、医療ソーシャルワーカーはその背景にどんな事情があるのか、家族や社会との関わりを含めて聞きますが、そこには虐待やDV、離婚などの辛い経験が隠れていることも。そしてこれらの全体像を理解して支援策をご提案できた時、混乱の淵にいた患者さんの心が整理され、きりっと表情が変わる瞬間があるのです。「大変なこともあったが、諦めずに支援してきてよかった」と、この仕事の醍醐味を少しずつ実感できるようになったのでした。

本人の自己決定を支えたい

 中学までは野球をやっており、各メンバーの心情を汲み取って声がけしていた経験も、患者さんとの信頼関係を築くのに役立っているかもしれません。 “心を使って”面談するので大変な時もありますが、何とかご本人が納得できる自己決定をサポートしていきたい。そして冒頭のあのお母さんにも今ならもっと的確な支援ができるのではないかと思う、入職7年目の夏です。

Y・Hさんからのひとこと

 小学生の頃、祖母がお土産に買ってきてくれた置物に書いてあった言葉が「根性」。医療ソーシャルワーカーには決して諦めない粘り強さが必要なので、まさにこの「根性」を胸に取り組む毎日です。

職種紹介

病院総合事務

直接感謝されない
裏方の仕事。
でも、それがいい。

横浜市立市民病院
患者総合サポートセンター
H・Nさん

病院総合事務とは

経営や労務管理など、裏方で病院を支えるのが病院総合事務。また病院運営に際しては、現場における運用課題の調整にも携わります。医療現場のチームの一員として、医療関係者に遠慮することなく意見を発信していく風土を育んでいます。

営業職で磨いた対人スキルを武器に

 こう見えて私、学生時代は人見知りだったんです。「ああ、対人スキルが足りていないな」。そんな自覚もあり、大学卒業後はあえて医療機器の営業職の仕事に挑みました。各地の医療機関にも出張し徐々に人と関わる面白さに気づき始めた中、挑戦したのが“がんの後遺症を軽減する医療機器チーム”の立ち上げ。社長に直談判して約3年をかけて発足に漕ぎつけ、以後、後遺症に苦しむ方々のため普及に取り組む日々が続きました。やがてチームも軌道に乗った頃、「今まで外から見てきた医療現場を、今度は中から見てみたい」と、ここ市民病院に飛び込んだのです。ちょうど新型コロナが蔓延し始めた令和2年のことでした。

患者さんの緊急受け入れに奔走

 配属されたのは、患者総合サポートセンター。言わば“患者さんの入口”に当たる場所で、外来受診の受付はもちろん、地域の医療機関からの患者さんの受入れ調整も行います。数時間後には患者さんが到着するので時間との勝負。「ベッドの空きはあるか」「医療チームの準備はどうか」と各方面にかけ合って手配に奔走するのです。何とか準備が整い、すぐさま次の業務を行っていると、間もなく救急車の到着音が聞こえてくる。「あ、これさっき私が受けた案件だ」とホッとすると同時に、「どうか良くなりますように」と願う瞬間です。

コロナ禍で重症用ベッドを求めて

 大変だったのは、コロナ禍の真っ只中、緊急入院が必要な患者さんが運び込まれているにも関わらず、院内のベッドが確保できなかった日のことです。他の医療機関へ片っ端から問い合わせてもどこも同じ状態。それでも「本当に無理ですか?」と食い下がり、「今の患者さんの処置が終われば休憩用ベッドが空く」と聞けば、時間を置いて再度、電話確認するなど必死でした。そんなやりとりの末、夜の9時を回った頃、ようやく市外に受入先が決まった時は部全体でどんなに安堵したことか。この患者さんとは直接会うこともなく、感謝されることもありませんが、命をサポートできた達成感は格別だと思います。そしてこうした交渉の際に重要な病院を超えた連携でも、やはり営業で培った対人スキルが生きていると感じるのです。

医療のプロに信頼される事務職に

 人生の分岐点の度に思い出すのが「興味のあるままにやればいい。ただし全て自己責任」という父の言葉。その責任を負うためには立ち止まっていたらダメで、医療集団の面々と対等に話せる力はもちろん、「この患者さんはどれ位入院を急ぐ必要があるのか」と疾患を判断できる知識ももっと高めなければと思っています。病院総合事務には、病院全体の統計データ作成から医師の勉強会の企画運営まで、「降ってくる」という形容が合うほど様々な業務がありますが、「あの人なら任せられる」と思われる存在になれるよう努めたいですね。

H・Nさんからのひとこと

 現在目指しているのが、診療情報管理士の資格取得。診療情報のデータベース入力や統計資料作成を行うのに欠かせない資格です。休日はしっかり休めるので、こうしたスキルアップや、ストレス解消のピラティスにあてています。