キャリア紹介

キャリア紹介

診療放射線技師(統括)

子育ては、お互い様。
助けられた分、
返せばいい。

横浜市立市民病院
画像診断部
M・Sさん

診療放射線技師とは

X線、CT、MRI、マンモグラフィの撮影を始め、がんの3大療法の一つである放射線治療も担うのが診療放射線技師。いずれの撮影や治療においても人体解剖への理解と、疾患に対する知識が必要であり、技師の手腕の差が画像に顕著に現れます。画像診断機器の操作をし、撮影を行う印象を持たれがちですが、実は最適な検査・治療方法を探るため、常に患者さんと向き合う仕事です。

医療の世界に興味を持った出来事

「ベビーカーに乗るには少し大きな子どもだな」。私が高校生の頃、スーパーにいた子をそんな風に見ていると、突然痙攣を起こしたのです。何が起きたのか分からず動転するばかりで、お母さんに声をかけることすらできなかった。その日のことがずっと忘れられず、「もっと何かできたのでは」と自問自答するうちに、自然と医療の世界に興味を持つようになりました。中でも放射線の力を借りて患者さんの病気を見つけたり、治療したりする放射線医療に魅力を感じ、診療放射線技師を志したのです。

忘れられない先輩のフォロー

 将来は子どもを持ちたいとの思いから、仕事と育児を比較的両立しやすい公立病院での技師になるべく就職した横浜市。覚えているのは、新人時代の先輩の優しさです。例えば一人で病棟ポータブル撮影に赴いた時など、私に見つからないよう後からついてきて見守ってくださり、ふと気づくと笑って立っていたということが何度もありました。こうした日々の業務や学会発表への挑戦の他、同じ放射線技師の夫との出会いもあり、忙しいながらも充実していたのが私の20、30代です。

子育てを、職場の全員で支え合う

 もちろん、失敗も沢山しました。患者さんが高齢の場合、つい自分の祖父母に語りかけるように話していたのですが、時には「私はそれほど歳を取っていない」と気分を害されることも。だからこそレントゲン撮影なら僅か5分の間でも「この方はどういう方かな」「耳が聞こえづらいのかな」と気を配り、聞こえやすい声のトーンに至るまで試行錯誤をしたものです。そして業務終了後には技師同士で撮影の練習を行い、ひたすら経験を積んでいきました。
 そうした日々の中、結婚後、育児が始まると、子どもが朝、突然熱を出すこともありました。急な休みをいただくので恐縮する私に、先輩は「今はあなたがそういう時期だけれど、私も何年か前は同じだった。子どもが大きくなって時間ができた時、若い子たちをフォローしてくれればいいよ」と。温かな励ましに胸が熱くなったのを今も覚えています。

後輩の成長を自分の喜びに

 そのフォローの順番が回ってきたのが、統括となった今です。嬉しいのは後輩の成長が見えた時ですね。例えば、胸の写真撮影の場合、患者さんの息が苦しそうな時に「息を止めてください」と声がけしてもいい写真は撮れません。どのタイミングで呼吸合図を出せばよいかが重要ですが、患者さんに合わせて柔軟に対応している姿を見た時は「こんなにできるようになったんだ」と、親のように喜びを感じるのです。
 今後も人材育成を通じ、後輩の成長を自分の喜びにしていきたい。この病院は、新人トレーナー制度や資格認定取得のサポートも充実しており、無理なくキャリアアップできるので、ぜひ一緒に楽しく働きましょう。

M・Sさんからのひとこと

 息子が野球をやっているため、よく試合の応援に出かけています。時には「家事を一切放棄する日」「仕事帰りにカフェに寄ってコーヒーを飲む日」を設けるなど、仕事とプライベートの両立を図る毎日。家族の協力に感謝です!

キャリア紹介

臨床工学技士(専任)

尊敬できる
上司の存在が、
今日も私を
衝き動かす。

横浜市立市民病院
臨床工学部
K・Kさん

臨床工学技士とは

心臓血管外科手術、集中治療、救急医療などの場面において高度医療を行う“いのちのエンジニア”。急性期から在宅医療、医療安全管理、感染症医療、災害医療など医療機器が使用されるすべての場所が活動のフィールドです。医療の高度化は医療機器の発展によって支えられており、この変化は将来にわたって続きます。従って、日々スキルを磨き続ける臨床工学技士は、高度医療を支える当院において今後ますます活躍が期待されています。

未知のウィルスと対峙した日

「まずは俺が入るから」。防護服に身を包み、率先して治療の最前線に向かっていった技士長の姿は今も目に焼き付いています。令和2年2月、新型コロナの集団感染が疑われていたクルーズ船が横浜港に入港し、陽性患者をいち早く当院で受け入れた時のこと。人工呼吸器ECMOなどの操作で私達臨床工学技士も対峙を迫られたのですが、強い信念を持った技士長の姿は現場の士気を一気に高めました。以後長く続く戦いの間、人工呼吸器の患者さんの治療が奏功し、一般病棟に移る姿を見ることこそが我々の大きな希望でした。

学びの大切さを先輩に教わる

 民間病院からの転職で、不慣れだった入職当時、「ちょっといいですか?」と相談すると、業務時間外でも丁寧に教えてくれたのがこの技士長でした。朝の恒例行事となった「抄読会」も、技士長はじめ先輩方が立ち上げたものです。これは1年目からベテランまでが揃い、各自が学んだ知識を紹介する場なのですが、「先日の学会でこんな内容を知った」と誰かが発表すると、質問が飛び、ある種の熱気の中で各自が最新知識をアップロードできるのです。「医療は日進月歩。学びをサボるとあっという間に取り残される」という技士長の言葉は、今の常識が数年後には古びることも多いICUの現場で、学びを深める原動力になったのは間違いありません。

後輩の成長が頼もしい

 現在、私は専任を任されていますが、臨床工学技士の存在意義は、「医療機器に関わる全てに責任を持ち、トラブルを起こさないために何ができるか考え続けること」だと思います。しかし患者さんの病態を知らず機器だけ見ていても意味がなく、例えば人工呼吸の管理であれば、その患者さんが今後どういう経過を辿っていくかを予測し、1時間ごとに変化する病態に合わせて機器を扱えることこそが重要です。生身の患者さんを知って初めて、「こういう状況なんだけど、どう思う?」と医師や看護師に問われた時にも、最適な意見が言えるはずです。
 そんな中、後輩も着々と育ってきて、私の業務が手一杯の時に「これなら自分、できますよ」と、率先して手伝ってくれる姿を見ると嬉しい限りですね。後輩には「自分はこうやっているけれど、こんな方法もある」と選択肢を示してきたつもりですが、自分とは別のやり方で助けられることもしばしばです。

男性も育休を取りやすい職場

 実は私は、育休を取っているんです。偶然とはいえ、新型コロナ感染者数が増えて大変な時期でしたが、期間を終えて戻ると、冒頭の技士長が「もっと取らなくていいのか」と。私もこんな上司になりたいと改めて思った瞬間でした。他職種との垣根が低く、助け合うのが日常茶飯事な部署なので、家庭も大切にしながら、思う存分、仕事に打ち込んでいこうと考えています。

K・Kさんからのひとこと

 休日は主に家族と出かけ、子どもが寝た後にランニングをしています。自宅周辺から箱根駅伝の難所・権太坂に向かって走る時は、まるで駅伝選手の気分。日頃、目一杯、頭と体を使って働いているのでリセットに最適です。

キャリア紹介

臨床検査技師(主任)

いま、30年越しの
生理検査室で。

横浜市立市民病院
検査・輸血部
I・Kさん

臨床検査技師とは

血液検査から採血、病理検査、細菌検査、生理検査に至るまで、多くの臨床検査に関わる検査のスペシャリスト。検査結果は医師の診断や治療の判断に重要な役割を果たすため、正確かつ迅速な作業が求められます。また生理検査・採血業務などでは、患者さんの不安を少しでも和らげられるよう、親切で安心できる検査、接遇向上の取り組みを進めています。

コツコツ検査する仕事に憧れて

 毎朝5時前に起きて高3と中3の子どものお弁当と、塾に行く前の夕食を作り、午前8時半には生理検査室で患者さんの検査にあたる。それが私の日課ですね。思えば、初めて生理検査室に配属になったのは、大学を卒業したての21歳の時。以後、生化学検査室、細菌検査室勤務を経て、30数年後の今、再び生理検査室に戻ったと思うと、感慨深いなと感じます。もともと人と接するのが得意ではなかったので、コツコツと検査する臨床検査技師になろうと思ったことが全ての始まりでした。入職当時は心電図検査などを行う先輩の一挙手一投足に目を凝らして、懸命にメモを取り、自分なりのマニュアルを作っていったのを思い出します。

患者さんこそ先生だった

 検査技師人生の中で意外だったのは、想像以上に患者さんと接する機会が多いということ。そしてこの患者さんこそが、沢山のことを教えてくれたのでした。例えば肺活量検査では、マウスピースをくわえたまま、吸ったり吐いたりしてもらうのですが、高齢者の方の場合しっかりくわえられず、息が漏れて正しい数値が出ない場合があるのです。そんな時、シリコン製のマウスピースに替えると漏れにくいなど、患者さんと共に試行錯誤しながら、経験値を上げていきました。検査に不安を感じる患者さんには、「辛いところはないですか」と声をかけ、負担を減らすようにしています。すると「(担当者が)あなたで良かった」と喜んでもらえることもあり、「人と接するのもいいな」と感じるようになったのです。

後輩の育成も、コスト意識の醸成も

 主任となってからは新人の指導係を担当しています。私には時折ライブに足を運ぶ推しのアーティストがいるのですが、彼の全盛期にはまだ生まれていない世代。当然ギャップはあるものの、皆、仕事の覚えが早く、感心する毎日です。4月半ばに入職して、数週間で心電図を一人で撮れるようになる姿を見ると、「追い抜かれるのも時間の問題だな」と(笑)。
 また市立病院という性質上、試薬一本に至るまで粗末に扱ってはいけないので、試薬や洗剤などの備品には、数年前から価格を表示しています。「同じ検査でもこの薬品を使った方が安くなる」と、部全体でコスト意識を高め、経営効率化に寄与するのも今の私の役目です。

出産後も復帰しやすい職場に

 この職場の魅力は、出産後も復帰しやすいこと。事実、私は育休を2回取得しましたが、先輩や同僚に全面的にバックアップしてもらいました。後輩達にも、やがて育休の時期が来るので、その時は全力で支えたいと思っています。かつての先輩達が「お互い様よ」と微笑んで送り出してくれた笑顔は、ずっと心に残っていますから。

I・Kさんからのひとこと

 私のストレス発散方法は、好きなアーティストの曲を運転しながら聴き、ライブに行くこと。ロック歌手なのでライブ会場では思い切り弾けます。皆さんも仕事以外に熱中できるものを持つと頑張れますよ。

キャリア紹介

医療ソーシャルワーカー
(係長)

人は助け合いながら、
生きていく
ものだから。

横浜市立市民病院
患者総合サポートセンター
T・Iさん

医療ソーシャルワーカーとは

患者さんやご家族が抱える悩みや問題解決のために各種機関との調整・連携を行う専門職。その業務は、受診・受療の援助に始まり、その人らしく地域で暮らすための退院支援、医療費や保険の相談、退院後の社会復帰援助に至るまで多岐にわたります。

異国の地で、人の優しさに触れて

「20代でしかできないことをやろう」。5年勤めた障害者支援施設を退職し、単身海を渡ったのは29歳の時。中国、中東、南米と1年かけて旅する中、道に迷った時には「どうした?」と声をかけられ、「飯でも食っていけ」と自宅に招かれるなど、多くの人に助けられたものでした。そんな人々の温かさに触れて帰国後、「今度はサービスをコーディネイトする仕事をしたい」と、都内の民間病院に飛び込んだのが医療ソーシャルワーカーとしての始まりです。無料低額診療事業などにも携わり、やりがいを感じていましたが、転機となったのは東日本大震災。妻子の待つ横浜の自宅に帰れず、「何のために働いているのか」と考えたのを機に、職場を横浜市立病院に移したのでした。

部署一丸となった人材育成で成長

「こういう研修があるけどどう?」。入職して驚いたのは、上司がそう声をかけ、研修や学会にどんどん送り出してくれることでした。院内での教育に加えて外部でも研鑽を積ませようという方針が明確で、当時これほど育成体制が整った職場は少なかったと思います。職場の中だけでは近視眼的になりがちですが、学会では「貧困、孤立、老々介護」など複雑な問題を抱えた患者さんの事例に触れることで視野が広がり、これらをヒントに患者さんの生活マネジメントに取り組んでいきました。
 係長になったのは入職8年目。変わったのは、予算や収支などと向き合う機会が増えたことでしょうか。しかし社会福祉は単純な売上数値では評価しがたいため、「病院に社会福祉職がいる意義」を経営層に理解してもらうことが重要だなと。ちなみに昇進時は下の子が生まれたばかりでしたが、妻と家事を分担しながら乗り切っています。

治療と就業の両立も支えたい

 今後、高齢化社会や核家族化が進む中、医療ソーシャルワーカーの重要性はさらに高まり、これまでの「介護と障害」の分野のみならず、「療養と就労の両立」といった新領域での役割も増えるでしょう。例えば現在はがんにかかっても、早期発見、早期治療できれば、ただちにそれまでの生活を変えなくてもよい場合もありますが、告知後に「仕事は無理だ」と退職してしまい、生活や治療に支障を来すケースも少なくありません。そうした場面に我々が介入し、症状や希望に合った生活を実現すべく職場と連携をとるのも重要な仕事です。そして、どのケースにおいても、課題が現れてからの対処だけでなく、前もって課題を予防する長期的視点が持てるよう研鑽を積んでいきたいですね。

思いやりの気持ちを、すべての患者さんに

 これまで多くの国を訪ねましたが、家族や友人と過ごしている人々の姿を見ると、国や文化、宗教の違いを超え、大切な人を思いやる気持ちは世界共通なんだと感じます。そんな人として根源的なものを胸に、患者さんの望む生活を実現できるよう、共に考え、悩み、支援していきたい。あの日、異国の地で道に迷っていた私に「どうした?」と歩み寄ってくれた人のように、患者さんの隣にいられたらと思います。

T・Iさんからのひとこと

 子どもからは時に「もっと早く帰ってきてほしい」とせがまれることも(笑)。仕事と家庭の両立は道半ばですが、上司に「後輩に両立の見本を見せてほしい」と言われているので、工夫していきたいですね。

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病院総合事務(係長)

医療従事者でなくとも、
医療は支えられる。

横浜市立市民病院
経営戦略室経営戦略課
Y・Nさん

病院総合事務とは

経営や労務管理など、裏方で病院を支えるのが病院総合事務。また病院運営に際しては、現場における運用課題の調整にも携わります。医療現場のチームの一員として、医療関係者に遠慮することなく意見を発信していく風土を育んでいます。

この子により良い医療を残したい

「医療はこのままでいいのだろうか」。民間企業で医療関係の経営コンサルタントをしていた頃、そんな疑問を抱く自分がいました。病院も企業である以上、収益を求めるのは当然ですが、「稼げない」という理由で小児科や産科が淘汰されていく現状に危機感を覚えたのです。当時ちょうど子どもも生まれ、「この子が大人になった未来により良い医療を繋ぎたい」と考え始めていた時、偶然目に留まったのがここ横浜市立病院でした。約370万人の横浜市民の命を守る使命を担い、民間では二の足を踏むような小児周産期医療や感染症医療など政策的な医療にも果敢に取り組んでいる。この病院を、“経営戦略”の力で、日本一活気のある病院にしたいと思ったのが入職の理由です。

エイズ治療中核拠点に選ばれた日

 私の所属する経営戦略課は、病院が将来どこを目指していくのかを決め、そのための計画を立案・運営する部署です。例えば最先端の手技を導入する場合も、公共機関などの認定が必要なため、膨大な資料から適切な申請書類を整えて認定を勝ち取るのです。そんな中、当院は令和5年にエイズ治療中核拠点病院に選定されましたが、その裏で前年まで調整を担当していた前係長の活躍は印象的でした。必要なデータを他職種や部署を巻き込んで集めて、「外部のこの部署との調整が必要だ」と自ら足を運んで交渉し、「こう立ち回れば、大きな認定を得られるんだ」と背中で見せてくれた。この上司らに文書作成から交渉術までマンツーマンで教わったことは私の財産です。

先進的医療を次の鍵に

 現在、横浜市が直面しているのは高齢化問題。そこで経営戦略課では、高齢者の負担を軽減できる「低侵襲の治療」の強化に注力しています。カテーテル手術が一般化して久しいですが、さらに一歩進め、他で出来ないような治療方法を取り入れたいのです。そのために必要なのが情報収集で、学会や業界で話題になっている最先端の医療情報を収集しては、実際に医師に話を聞き、導入可能かどうかを模索する日々。そして院内に先進的な手技が導入されることで情報感度の高い医療者が働きたいと希望し、患者さんが診てもらいたいと思ってくれる病院を創ることが私の夢ですね。

大切なのは「命を守りたい」という想い

 もともと医療に興味があったのですが、ものづくりも好きで建築学科に進学しました。それでも命を守る医療への憧れがずっと胸の中にあり、大学では病院建築の研究に明け暮れ、卒業後は「ソフト面から医療に携わろう」と医療関係の経営コンサルになりました。そして「医療現場により近い場所で仕事がしたい」と市民病院を職場にした現在、建築やコンサルなど遠回りして得た知識も何らかの形で活かせるのではと期待しています。つまり医療者ではなくても、医療を別の側面から支えられる。「命を守りたい」という想いさえ根底にあれば、この仕事はどんな人にも向いていると思います。

S・Nさんからのひとこと

 アフターコロナいうこともあり、医療者が使う場所の消毒は欠かせません。細かな部分に手を抜かないことからも経営戦略は始まると思います。忙しい日々ですが、休日は展覧会へ。先日は、日本でも注目されている海外建築家の独創的な作品を鑑賞し、インスピレーションを得てきました。